注文の多い料理店
作品全体に漂う不穏な空気とまさかの展開に、全小学生たちが恐怖した作品。
挿絵も不安を煽るような怖いタッチで描かれており、クラスメイトたちは皆「山猫軒」と聞くだけで縮み上がるほどのトラウマを植えつけられていた。
著者情報
宮沢賢治
1896-1933。明治29年、岩手県花巻生れ。盛岡高等農林学校卒。
富商の長男。日蓮宗徒。1921(大正10)年から5年間、花巻農学校教諭。中学時代からの山野跋渉が、彼の文学の礎となった。教え子との交流を通じ岩手県農民の現実を知り、羅須地人協会を設立、農業技術指導、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上をめざし粉骨砕身するが、理想かなわぬまま過労で肺結核が悪化、最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行った。
生前はほとんど無名のままに死去。病床のなかで手帳に綴ったのが「雨ニモマケズ」の詩。
生前刊行されたのは、詩集「春と修羅」童話集「注文の多い料理店」(1924)のみ。